くすり日記

徒然なるままに。日暮らし、アニメに向かいて。心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

朝倉涼子と非人間性/擬態の美しさについて

朝倉涼子について

 朝倉涼子とは、谷川流によるSF/ラブコメライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱<「涼宮ハルヒ」シリーズ> (角川スニーカー文庫)」に登場するキャラクターの一人であり、物語の信管のような役割を果たす重要人物です。

 物語の主人公・キョンは、高校一年生に進学して初めてのホームルーム、新たなクラスメイトとの親睦を深めるための自己紹介の席において、かの有名な「この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら〜」という大演説を目の当たりにし、涼宮ハルヒという突飛な女の名をその平凡な人生に刻みつけられることになります。あまつさえ、彼は宇宙人でも未来人でも超能力者でもないのに関わらず、神のごとき気まぐれを持つ涼宮ハルヒによって何故か気に入られてしまい、SOS団なる珍妙な部活動に引きずり込まれてしまうのでした。

 キョンがSOS団に所属する宇宙人・長門有希、未来人・朝比奈みくる、超能力者・古泉一樹からその込み入った事情を半ば無理やりに聞かされている間にも、朝倉涼子はその姿を見え隠れさせています。単なるクラス委員長、しっかりものの女の子として。しかし、物語はその朝倉涼子によって爆発的な加速を迎えることになります。キョン朝倉涼子によって放課後の教室に呼び出されてみれば、彼女は唐突に懐からまるで少女には似つかわしくない、大型のナイフを流れるように取り出して、彼に飛びかかったのです。自身が長門有希と同じモノ───情報統合思念体によるヒューマノイド・インターフェースでありながら、その立場を異にし、言うなれば急進派という思想に属していることを明かす朝倉涼子に、一度は殺されかけるキョンでしたが、窮地は駆けつけた朝倉涼子と同じTFEI・長門有希によって解決されることとなります。長門有希涼宮ハルヒの周囲をできる限り刺激しない方針の穏健派に属するTFEI。彼女と朝倉涼子にはバックアップという関係性もありましたが、その思想に絶対の隔絶を孕んでいたのです。かくして、長門有希によって有機的情報連結解除を施された朝倉涼子は、肉体の情報連結を喪失し、砂となって消失してしまったというわけです。

 作中に登場する、朝倉涼子を含むTFEIという存在は〝情報統合思念体〟と呼ばれる地球外知性体によって造られた、対有機生命体ヒューマノイド・インターフェース。それは人間をはじめとする、有機物によって構成される生命体に対して、コンタクトを取るための人格を持たされた装置。

 すなわち、より端的に言ってしまえば〝宇宙人〟というわけです。この宇宙人という属性が、物語の中心であるところの涼宮ハルヒに、TFEIの一体、長門有希を引き寄せさせてしまうことになるのですが、それはこの記事の本旨からは乖離しているので割愛します。気になる方は本編をどうぞ。私にとっては、はっきり言って心底どうでもいいです。

 ともあれ、朝倉涼子がそういった、人間ではない、有機的情報連結を施された情報生命に近いものである、ということは拙い説明ながらも、なんとか上記で理解いただけたかと思います。

 私が朝倉涼子を美しいと思う理由は大きく分けて3つあります。今回の記事ではそれらをつらつらと書いていきたいと思います。

 

朝倉涼子の非人間性

  記事のタイトルにも使った〝非人間性〟という言葉、特に深い意味はありません。文字通り朝倉涼子が〝人間ではない〟ということです。もしくは〝人間的思考をしない〟と言った方がより近いかもしれません。

 朝倉涼子は有機生命体などではなく、情報連結や情報操作、改竄などの機能を持ち得るヒューマノイド。肉体の煩わしさを同じくしながらも、彼女は根底的に人間とは異なる存在であるはずです。人間のように〝感情〟や〝衝動〟などによって動かされない。常に自動的に動作します。それは思考も同様です。

 よって、彼女は一切の煩わしい俗事から乖離しています。クラスの中心に存在するクラス委員長という立場でありながら、彼女には他のクラスメイトに対する〝共感〟が一切存在し得ないのです。

 思春期の高校生の教室には必ずと言っていいくらいに複雑に入り組んだ感情の迷路が張り巡らされているはずです。アイデンティティや他者との関係など、高校生が悩むべきことは無数にあるのですから。

 しかし、朝倉涼子は一切それらに干渉されていない。周囲の人間にとっては完璧な美人にも見えるはずです。その笑顔には綻びが生じる余地がないのですから。

 その自動的な行いのなんと美しいことか。私は青春の美しさを、その〝乱雑さ〟であると思っていますが、やはりその整頓されていない本棚の中に、美しい装丁の完璧な一冊の本が置いてあれば、否が応でもそれに目を奪われてしまうというものです。感情の糸がこじれにこじれてクモの巣を作る高校生のクラスルームの中心において、朝倉涼子という蝶には一縷の糸さえまとわりつかず、その羽の美しさを絶対にしているのです。朝倉涼子のこの在り方に、私は心を奪われました。

 

朝倉涼子の擬態

 前述の通り、朝倉涼子には人間的な機能がありません。もっと言えば〝感情〟が欠如しているのですが、それは周囲の人間には知られていません。それが何故かと言えば、他でもないこの朝倉涼子の〝擬態〟によるものだと言えます。

 必要なプロセスとして、TFEI長門有希について考えざるを得ません。長門有希涼宮ハルヒの監視役として情報統合思念体によって生み出された、朝倉涼子と同じヒューマノイド・インターフェースです。彼女をメインにしたエピソード「涼宮ハルヒの消失」を基にして、京都アニメーションによって立派なアニメーション映画(Amazon.co.jp | 涼宮ハルヒの消失 限定版 [Blu-ray] DVD・ブルーレイ - 平野綾, 杉田智和, 茅原実里, 後藤邑子, 小野大輔, 桑谷夏子, 松岡由貴, 白石稔, 松元恵, あおきさやか, 石原立也)が制作されていますし、ぷよ先生による公式リビルド漫画「長門有希ちゃんの消失」がアニメ化されるなど、朝倉涼子などよりもよほど人気があり、知名度が高いキャラクターだと思います。

 私に言わせれば、長門有希TFEIという存在として異端です。敢えて酷い言い方をすれば出来損ないだとすら思います。何故なら、彼女の擬態があまりにも稚拙か、あるいはまったく機能していないからです。

 先ほどから私は擬態、擬態と連呼していますが、これはTFEI全体の機能でもあると思うのです。

 擬態とは、〝感情〟を持たないTFEIがまるで〝感情〟を持ち合わせているかのように動作すること

 朝倉涼子は端から見れば人間よりも人間らしいのです。他人の悩みを理解してあげて、相談に乗り、友人を励ます。そんな人格者に擬態しているのです。それは本当に、恐ろしいことだと思います。

 長門有希が感情のないロボットのように振る舞うことしかできないのに対して、朝倉涼子は本当に感情豊かに見えるのです。それは表情ひとつをとっても、明らかなことに思えます。長門有希が氷のような無表情を貫くのに対して、朝倉涼子は常に柔らかい微笑をたたえています。もちろんそれも擬態のひとつなのですが。

 私は朝倉涼子は完全に人間に擬態していると思います。あるいはここでは人それぞれに解釈が異なるかもしれませんが、少なくとも長門有希に比べれば間違いなく、巧みに人間に擬態しているとは、確実に言えると思うのです。

 感情を持たない朝倉涼子が誰よりも人間の中心にいる。クラスの誰にも頼りにされている。朝倉涼子は何を思って、人を装っていたのでしょうか。彼女にとってはクラスメイトの抱える悩みや、クラスで起きる事件や、たわいのない会話や、甘ったるい恋愛は、何もかも無意味で無価値なものだったはずです。それでも、彼女はそれらに付き合っていたのです。

 正直に言えば、私にはそれを想像することができません。だからこそ、彼女がどんなことを考えながら、無価値な人間の営みに迎合する真似をしていたのか、その答えに憧れているのです。

 

上記の2つはアニメ化やメディアミックスによってわりと周知度が高い部分かと思いますが、これから書くもうひとつの朝倉涼子の魅力は、どうしても刊行している最終巻までのエピソードを紹介せざるを得ません。ネタバレ等を気になさる方は読み飛ばされることをお勧めします。 

 

感情獲得説

 前述の「涼宮ハルヒの消失」において、長門有希は深刻な〝エラー〟を引き起こして、涼宮ハルヒという神から、世界の編纂者たるその権能を簒奪し、最大限に活用して世界を改竄してしまいます。その世界においては、涼宮ハルヒは神などではないただの少女であり、改変を行った長門有希でさえも、ごく平凡で少し内気な少女と成り果てています。その世界においては朝倉涼子さえもが復活し、同じくごく普通のクラス委員長として長門有希と親睦を深めているかと思いきや、実は長門有希が残した改変後の世界を守る防衛者としての役割を負っていたのです。しかし、それはこの話題では割愛させていただきます。俗に言う消失朝倉は、ぷよさんをはじめとする二次創作家の手腕によってとても魅力的な、面倒見のいい母親のような女の子という属性が確立され、愛されていることも知っているのですが、通常世界の朝倉涼子が好きな私にとってはどうにも純粋な気持ちで愛することができないのです。当然、通常朝倉と切り離してしまえば魅力的なキャラクターであることは間違いなく、私も消失朝倉の母性に癒されたりもしたのですが……。

 ともあれ、改変後世界においての紆余曲折を経て、キョンはTFEIである長門有希の存在する、SOS団と奇々怪々な事件の頻発する元の世界を選ぶのですが、その時に長門有希に対して、〝彼女の抱えていたエラーとは、もともとTFEIには存在しなかったはずの感情である〟という解釈を吐露します。つまり、実にベタなことですが、涼宮ハルヒやSOS団との賑やかな日常の中で、ロボットだった長門有希に感情が芽生えた、ということなのです。そして、進化を失った情報統合思念体の縮図である長門有希に変化が生まれたということは、それこそが〝自律進化の鍵〟であると言えるのです。

 ここで、私は思いました。朝倉涼子にも感情が芽生えるのではないか?

 その思いつきは、原作を読み進めていくにつれて半ば確信に近いものにまで変わっていきました。あるいは妄想が強く大きく育ってしまったというべきでしょうか。長門有希がSOS団における有機生命体との関わりを通して「喜び」や「楽しみ」という感情を獲得したとするならば───果たして朝倉涼子はどんな感情を獲得するのだろうか。その疑問に答えをくれたのは、原作の続刊における朝倉涼子の待望の再登場でした。

 情報統合思念体とは異なる地球外知性体・天蓋領域より遣わされたTFEIとは異なるもの。有機生命体とのコンタクトははなから期待されていない、情報統合思念体ヒューマノイド・インターフェース。それが周防九曜でした。彼女によって統合思念体とのコンタクトをジャミングされ、機能的不調を引き起こされていた長門有希は、一時的に体が使い物にならなくなるほどの不具合に見舞われます。その時、周防九曜と遭遇を果たしたキョンは命の危険に晒されますが、それを朝倉涼子によって救い出されるのでした。これは一巻における立場とは全くの正反対です。

 しかし、彼を助けた朝倉涼子は決して、友好的ではありませんでした。むしろ、彼女は自分を有機的情報連結解除に追いやったキョン長門有希憎んでいるようでさえありました。

 私は思いました。朝倉涼子が獲得すべき感情は他でもない、〝憎しみ〟や〝怒り〟であったのだと!

  SOS団とのコンタクトを経て、〝喜び〟や〝楽しみ〟を獲得し、〝自律進化の鍵〟へと至った長門有希に対して、長門有希キョンという敵に排除されるというコンタクトによって、〝憎しみ〟や〝怒り〟を獲得し、同じく〝鍵〟へ至った朝倉涼子。これほど理想的な二項対立があるでしょうか。この美しい長門有希朝倉涼子の対称に、私はこれ以上ないほど惹きつけられるのです。

 

 長々と書いてきましたが、信じがたいことに「涼宮ハルヒの憂鬱」は未だに完結していないシリーズです。谷川逃げてないで早く書け。

 望み通りの結末でなくても構いません。朝倉涼子の登場が約束されていて、彼女が何らかの形で終焉を迎えられるならそれでいいのです。五千文字も駄文を綴っておいて、本当に言いたいことはたったこれだけです。もっと朝倉涼子を見たい。読みたいのです。

 現在、スニーカー文庫でも全く名前を見ることができなくなってしまった谷川流先生。どうかハルヒの完結をお願いします。そして朝倉涼子に最期をあげてください。よろしくお願いします。

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。少しでもハルヒ朝倉涼子に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば、これに優る喜びはありません。