仕事をする快感
ひさびさに真面目に仕事をしていると、だんだんと「どうやって仕事をするのか」取り戻していくような気がする。
いまではすっかり働きたくない、仕事やめたい、何もかも投げ出したいとぼやくだけの人間になってしまったが、かつてはきちんと努力というものを知り、自分を高めようという意識を持ち、日々社会に適合して生きていた人間だったのである。わたしも。
かつてわたしがどうやって生きていたのかいまとなってはもはや疑問でさえあったのだけれど、こうしてみると納得だ。
なんとなく働いてみると、働くのがわりと気持ちよくなってくる。性的な快感に似ていると思う。いや、そもそもわたしの感じる、感覚の全ては、ほとんどが性的な快感か、あるいは不快なものか、という区別しかないような気もしているのである。
なんと原始的な人間なのであろうかと思うが、わりかし実感に満ちた結論なので仕方がない。わたしの感じる満足感とか、快感とかそういうプラスの感情には、ぜんぜん細かい種類がなくて、性的に満足したときの、それこそ自慰行為でオーガズムに達したときのそれでしかないのだ。悲しいことに。
思えばいろいろな「好きなこと」があるけれど、それはだいたい大根おろしをおろすことだったり、里芋をひたすら小鍋で煮ることだったりするのだが、それらをしているときわたしは、だいたい性的に興奮している。
異常性癖と思われるかもしれないが、じっさいそうなのだ。自分が正常とは思わない。しかし誰だってこう、本来の性的な興奮へと至るアプローチを外れた場所から、ひょんなきっかけを通してオーガズムに至ってしまうような道筋を、ひとつぐらいは持っているのではないかと思う。わたしの大根おろしや、里芋煮のように。